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長崎地方裁判所 昭和61年(行ウ)1号 判決 1989年5月26日

原告

高瀬ツイ

右訴訟代理人弁護士

福崎博孝

浅井敞

石井精二

稲村晴夫

岩城邦治

小野正章

鴨川裕司

金子寛道

河西龍太郎

椛島敏雅

熊谷悟郎

小林清隆

塩塚節夫

龍田紘一朗

筒井丈夫

中村尚達

本多俊之

森永正

安田寿朗

山田富康

山元昭則

横山茂樹

福崎博孝訴訟復代理人弁護士

原田直子

小宮学

松岡肇

河邉真史

被告

佐世保労働基準監督署長 門敏男

右指定代理人

田邊哲夫

溝川健三

崎山正春

宮崎和夫

清水啓次

伊藤国彦

秀島達也

松下徹夫

高比良勲

金子勝則

小島従美

渡邊吉治

柳谷延雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対して昭和五五年一二月三日付でなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料の支給をしない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外亡高瀬戸市(以下「亡戸市」という。)は、明治三二年一一月二五日出生し、昭和四年に松島炭鉱において採炭夫として働き始め、以後昭和三四年五月紋珠岳炭鉱を退職するまでの間二五年六か月の長期にわたって炭鉱の坑内労働者として採炭、掘進等の粉じん作業に従事していた。

2  亡戸市は、炭鉱離職後鉄工所等でしばらく勤務していたが、昭和四二年ころ、肺浸潤となって左世保市内の内科医院に通院するようになり、翌四三年ころからは同市内の他の内科医院に二年半ほど入院し、その後も通院治療を受けていた。

亡戸市は、昭和五四年一月九日、同市内に所在する長崎労災病院で受診したところ、同年三月一日、じん肺管理区分四の決定を受けたので、同病院で入通院による治療を受けていたが、翌五五年五月ころには症状が急激に悪化し、同年七月一八日午後四時死亡した。

3  原告は、亡戸市の妻であって、同人の死亡当時その収入によって生計を維持し、また同人の葬祭を主催したものである。

4  そこで、原告は、昭和五五年八月二日被告に対し、亡戸市の死亡は業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求したところ、被告は、昭和五五年一二月三日、亡戸市の死亡は業務上の事由によるものではないとして、右各給付を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をなし、その旨原告に通知した。

5  原告は、被告の本件処分を不服として、長崎労働者災害補償保険審査官に対し審査請求を行ったが、昭和五八年一月三一日付で棄却され、さらに同年三月一七日付で労働保険審査会に対し再審査請求をなしたが、昭和六〇年一〇月一八日付で棄却の裁決がなされ、同年一一月二〇日その旨の通知を受けた。

6  しかしながら、亡戸市の死亡は、以下のとおり業務上の事由によるものである。

なお、業務上の判断にあたり、「業務起因性」については、「被災者が紛じん作業に従事し、じん肺症に罹患したこと」と「右じん肺症及びそれを基盤とする各種合併症に影響され、その影響の下に被災者が死亡したこと」との間に「合理的な関連性」があれば足り、それ以上にじん肺症と死因との間に相当因果関係が存在することまでは要しないものと解すべきである。

(一) 亡戸市のじん肺症の程度

(1) 亡戸市は、前記のとおりじん肺に罹患して昭和四二年以降身体の変調を覚えるようになり、咳、痰、呼吸困難などの症状に悩まされていたところ、昭和五四年一月九日長崎労災病院でじん肺症と診断され、同年三月一日じん肺法管理区分四の決定を得て治療を受けるようになったが、同年五月一〇日ころからその症状が悪化し始め、同月一二日同病院に入院した。亡戸市は、入院当初便所へ自力で行ける体力を有していたが、じん肺症の悪化と血液検査のための採血による体力の衰えなどがあいまって便所にすら行けなくなった。また同月一五日には痰がつまって自力で排出することができなくなり、以後吸引器による痰の除去を余儀なくされる状態となった。そして、同人の症状はさらに悪化し続け、痰の排出困難が増し、このため窒息状態で同年七月一八日死亡するに至った。

(2) 解剖所見による形態学的観点からの呼吸機能障害

亡戸市の死後に行われた解剖所見によると、同人の肺につき、両肺には小結節状の線維化を伴うびまん性の高度な炭粉沈着、右肺上葉及び下葉の塊状線維化巣、小葉中心性のびまん性肺気腫等の炭坑夫肺としての病変、両側胸膜線維性癒着、陳旧性肺結核の白亜化巣が存在し、また気道には、痰などの粘液性分泌物がかなり存在したことが認められた。そして、小結節状の線維化を伴うびまん性の高度な炭粉沈着とは、肺野全域に高密度に炭粉の沈着があって、しかも炭粉沈着部位には一致して線維化が起こっている状態をいい、それは炭粉と軽度のけい酸じんによって引き起こされたものである。また塊状線維化巣は、強度の炭粉沈着とそれに合併する結核が主たる成因である。さらに小葉中心性のびまん性肺気腫とは、肺野全域に炭坑夫肺によくみられる疾病である小葉中心性の肺気腫が存在することをいい、老人にみられる汎小葉性の肺気腫とは異なるから、亡戸市の肺気腫は老人性のものではなく、炭坑夫肺によるものである。

以上の解剖所見によると、じん肺病変が極めて高度に進行し、かつ相当長期にわたって存在し続けていたことが明らかである。

(3) 臨床所見による肺機能障害

亡戸市が昭和五四年三月一日管理区分四の認定を受けたが、その際のじん肺健康診断の結果によると、胸部エックス線写真による所見は、一型(1/1)、粒状影はP、著明な肺気腫(em)、肺結核(tb)であった。また呼吸困難の程度は第Ⅳ度で、咳や痰があり、肺機能検査の結果については、パーセント肺活量は九五・〇パーセントで正常であったが、一秒率四五・五パーセント、V25/身長〇・二五、肺胞気・動脈血酸素分圧較差三四・二八TORR(動脈血酸素分圧七〇・〇TORR、動脈血炭酸ガス分圧三八・〇TORR)と換気機能が著しく衰えていたのであり、総合的には著しい肺機能障害の状態であるF()であった。

(4) じん肺と動脈硬化、低蛋白血症との関連

亡戸市は、長期にわたり栄養状態の不良、低蛋白血症、意識状況の不良等があったが、これにはじん肺に基づく恒常的な酸欠による全身の体力の衰えが重大な影響を与えていた。

(5) 以上によると、亡戸市のじん肺症は極めて重篤であり、しかも肺内の病変の進行状態からして相当以前の段階からじん肺の重症化が進展していたというべきであり、じん肺に基づく呼吸機能障害は高度であった。

(二) 亡戸市の死因

亡戸市の直接死因は、粘液性分泌物による気道閉塞に基づく窒息死であり、その粘液性分泌物の排出不能の要因としては、亡戸市のじん肺による影響を否定することはできない。すなわち、多量の粘液性分泌物の出現それ自体が気腫性変化を伴うじん肺に起因するものであるうえ、じん肺による肺機能低下のためその分泌物を喀出できなかったのである。

これに対し、被告は、死亡の主たる要因として、動脈硬化を基盤とした老人性衰弱、低蛋白血症と主張するが、前記のとおりじん肺病変が長期にわたって亡戸市の身体をむしばみ、その体力を衰えさせていたのであり、また亡戸市の解剖所見によると、気道には粘液性分泌物が多量に存在し、閉塞性気道障害の程度は重症であったうえ、両側胸膜癒着により肺全体の収縮にも支障を来す状態にあったのであるから、これらの事情によると、分泌物排出不能の原因を加齢による体力の衰えのみに求めるのは妥当ではない。仮に亡戸市が老衰状態にあったとしても、じん肺病変が高度に進行していなければ、痰の喀出不能による窒息死ということはなかったことは明らかである。

(三) 以上のとおり、亡戸市のじん肺症が高度に進行し、かつ長期にわたって進行し続けたため、全身の体力が衰え、喀痰の排出が困難となって窒息死したものであって、亡戸市のじん肺とその死因との間には合理的な関連性があるから、同人の死亡は業務上の事由によるものというべきである。

7  よって、被告の本件処分は違法であるから、原告は、請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、昭和五五年ころには症状が急激に悪化したことは不知。また死亡時刻は午後四時一五分である。その余の事実は認める。

3  同3のうち、原告が亡戸市の妻であることは認めるが、その余の事実は知らない。

4  同4の事実は認める。

5  同5の事実は認める。

6  同6の主張は争う。

三  被告の主張

(本件処分の適法性)

1 亡戸市のじん肺症の症状と程度について

(一) 胸部エックス線写真像について

亡戸市の胸部エックス線所見は、全療養期間を通して第一型程度の病像であって、その間の進展は見られなかった。

(二) 療養内容について

亡戸市の療養内容については、全療養期間を通して専ら対症療法が行われており、症状にあまり変化はなかった。

(三) 肺機能障害について

亡戸市の肺機能障害の程度については、昭和五四年三月一日付のじん肺管理区分決定通知書には著明な肺機能障害があることを意味するF()と記載されているが、全体としてそれほど重篤な肺機能障害があったとはいえない。すなわち、右じん肺管理区分決定の資料となった昭和五三年一二月六日のじん肺健康診断の胸部に関する臨床検査では、チアノーゼ、ばち状指の所見はなかったので、呼吸困難、酸素不足が長く続いていたということはできない。また、昭和五四年一月九日の肺機能検査では、「年齢七九歳、身長一・五八二メートル、肺活量予想値二・七八〇リットル、肺活量二・六四〇リットル、努力肺活量一・九七リットル、一秒量〇・九〇〇リットル、一秒率四五・五パーセント、パーセント肺活量九五・〇パーセント、V25/身長〇・二五リットル/秒/メートル」であり、また股動脈採血による「酸素分圧七〇・〇TORR、炭酸ガス分圧三八・〇TORR、肺胞気・動脈血酸素分圧較差三四・二八TORR」であったところ、限界値未満の数値であったのはV25/身長と酸素分圧値のみであり、他の数値は限界値には至らず、特にパーセント肺活量や肺胞気・動脈血酸素分圧較差は良好値であった。さらに、亡戸市は、入院中の昭和五五年五月一三日から同月二七日までの間五回にわたって血液ガス検査を受けており、その結果から肺胞気・動脈血酸素分圧較差を算出すると、同月一三日は四七・九三TORR、同月一五日は二八・九九TORR、同月二四日は四〇・三六TORR、同月二六日は三二・七一TORR、二七日は三五・九八TORRであったところ、当時の亡戸市の年齢であった八〇歳の限界値四〇・六〇TORRと比較すると、同月一三日を除いていずれも良好な数値であるうえ、昭和五四年の検査結果である三四・二八TORRと比較してもほとんど進展がなかった。そして、F()は療養を要する状態をいうが、この中には日常の生活ができる人から、入院治療をしても呼吸困難が進展し医学的に手の施しようもない人まで幅広く含まれているところ、亡戸市については起座呼吸をしたり食事ができなくなるほどの特別の呼吸困難な状態ではなかった。従って、亡戸市の肺機能障害が重症であったということはできない。

なお亡戸市の肺機能障害の原因としては、後記のとおり亡戸市のじん肺症が比較的軽度であることに照らし、加齢による肺気腫と考えるのが相当である。

(四) 合併症の有無について

肺結核については、じん肺健康診断時における喀痰検査によると、結核菌塗抹はなしの所見であり、傷病も「陳旧性肺結核」の所見であるから、症状は固定した状態にあり、療養を要する状態にはなかった。また続発性気管支炎にも罹患していたとは認められない。

(五) 病理解剖所見について

亡戸市の病理解剖の結果によると、炭坑夫肺として、小結節状の線維化を伴うびまん性の炭粉沈着、高度、小葉中心性のびまん性肺気腫、右肺上葉及び下葉の塊状線維化巣の所見があったとされるが、解剖所見と実際の患者が示した呼吸困難の状態とは一致しないことが多く、亡戸市も起座呼吸をするほどの呼吸困難がなかったとしても、解剖所見とは矛盾しないのである。

また右肺に見られたとされる塊状線維化巣は、結核による白亜化巣と乾酪巣の周囲に認められる以外に、肺には結核によらない塊状線維化巣がないのであるから、亡戸市の肺にはじん肺による進行性塊状線維化巣はなかったと解するのが相当である。

なお解剖所見では、じん肺の病変以外にも、全身動脈硬化症として、冠状動脈硬化症及び陳旧性心筋梗塞、大動脈硬化症、動脈硬化性萎縮腎の病変が存在し、胸水や腹水の腔水症も存在して栄養不良の状態にあった。

(六) 以上の事情によると、亡戸市のじん肺症は比較的軽度のものであったということができる。

2 亡戸市の死因

亡戸市は、加齢に基づく動脈硬化症によって脳動脈硬化性の精神症状を来し、摂食意欲が低下して低蛋白血症となった結果全身衰弱に陥り、いわゆる老衰の状態から死亡するに至ったものであって、じん肺との間に因果関係はないのである。

なお、全身衰弱が進行する状態においては、じん肺症でなくとも気管内に痰が発生するのであり、また本件のように、高齢による諸病変の存在が明らかに認められる場合の痰の気管内の滞留は、身体異物の気管閉塞の場合とは違って、衰弱及び脳動脈硬化による喀出意欲の欠如とみるのが妥当であり、その結果、窒息といわれる状態となったものであるから、死因は窒息とすることなく、その全身衰弱の原因となった動脈硬化症、低蛋白血症を死因とするのが相当である。

3 以上によると、亡戸市の直接死因は、動脈硬化症・低蛋白血症で、その原因は加齢であって、亡戸市の死亡は、業務上の疾病たるじん肺症または合併症若しくはじん肺症との間に相当因果関係のある疾病によるものとは認められないから、業務起因性がないというべきである。従って、亡戸市の死亡が業務上の事由によるものではないとの理由でなした被告の本件処分は適法である。

第三証拠(略)

理由

一  亡戸市は、明治三二年一一月二五日出生し、昭和四年に松島炭鉱で採炭夫として働き始め、以後昭和三四年五月紋珠岳炭鉱を退職するまでの間のうち、二五年六か月の長期にわたって炭鉱の坑内労働者として採炭、掘進等の粉じん作業に従事していたこと、亡戸市は、炭鉱離職後鉄工所等でしばらく勤務していたが、昭和四二年ころ、肺浸潤となって佐世保市内の内科医院に通院するようになり、翌四三年ころからは同市内の他の内科医院に二年半ほど入院し、その後も通院治療を受けていたこと、亡戸市は、昭和五四年一月九日、同市内に所在する長崎労災病院で受診したところ、同年三月一日、じん肺管理区分四の決定を受けたので、同病院で入通院による治療を受けていたが昭和五五年七月一八日死亡したこと、原告が亡戸市の妻であること並びに請求原因4(原告の遺族補償給付・葬祭料の請求と被告の本件処分)及び同5(審査請求・再審査請求)の各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、亡戸市の死亡が労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条の規定する「労働者が業務上死亡した場合」に該当するか否かについて以下判断する。労働者が疾病により死亡した場合には、死亡の原因となった疾病が業務上のものであれば、業務上死亡した場合に該当すると解されるところ、労働基準法七五条二項は、業務上の疾病の範囲については命令で定める旨規定し、これに基づいて同法施行規則三五条、別表第一の二が定められているので、亡戸市の死因となった疾病が右別表に掲げる疾病に該当するか否かについて検討することが必要となる。すなわち、亡戸市が粉じん作業に従事し、じん肺管理区分四と決定されていたことは当事者間に争いがないので、原告の主張する亡戸市の死因となった疾病が右別表第一の二第五号のじん肺ないしじん肺法施行規則第一条各号に掲げられた法定合併症・続発症に基づくか、そうでなければ、右別表第一の二第九号の業務に起因することの明らかな疾病に基づく場合であれば、亡戸市の死亡は業務上の死亡ということができる。

従って、以下では、亡戸市の死因及びその死因となった疾病とじん肺との因果関係について検討することになるが、その前に亡戸市の死亡に至る経緯及び同人のじん肺症の程度を検討しておくこととする。

三  亡戸市の死亡に至った経緯

前記一の当事者間に争いのない事実のほか、(証拠略)によると、次の事実が認められる。

1  亡戸市は、昭和三四年五月(当時満五九歳)紋珠岳炭鉱を退職後鉄工所等でしばらく勤務していたが、昭和四二年ころ(当時満六八歳ころ)、肺浸潤となって佐世保市内の内科医院に通院するようになり、翌四三年ころからは肺結核で同市内の他の内科医院に二年半ほど入院し、その後も通院治療を受けていた。

2  亡戸市は、昭和五三年一二月六日(当時満七九歳)、咳や痰が出、歩行するにも呼吸困難として長崎労災病院で診察を受け、じん肺結核症及び動脈硬化症と診断されたが、その際はエックス線写真による検査、胸部に関する臨床検査及び合併症に関する検査を受け、また翌五四年一月九日には肺機能検査(第一、二次)を受け、その結果同年三月一日付でじん肺管理区分四の決定を受けた。その後亡戸市は、同病院に通院するようになったが、同年一二月ころから息切れがひどく、食事がとれず、ほとんど寝たきりになったので、精密検査のため、同月一二日から同病院に入院したが、その際の診断名は、じん肺症、肺結核、動脈硬化症であった。その入院期間中、亡戸市は、起きることはできるようになったが、失禁状態が続き、見当識を欠いた異常言動を示すなど、脳動脈硬化性の精神症状が発現して監視困難になったため、翌五五年一月四日に退院して自宅療養となった。その際の診断名は、じん肺、陳旧性肺結核、動脈硬化症、胃ポリープ様病変(その後の検査で良性と判明)であった。

3  その後、亡戸市は、同年五月一二日、同病院に栄養等の全身状態を検査するため再度入院をしたが、その際には貧血、低蛋白血症、炎症反応が認められた。そこで、亡戸市は、入院当初は輸血や鼻腔栄養、抗生物質の投与を受けていたが、同年六月一九日以降は体温が安定したため抗生物質の投与が中止され、また痰を自ら喀出せず、全体的に見当識が極めて不良で、高齢であることを考慮して鼻腔栄養も中止され、食物の経口摂取と輸血のみで入院療養生活を送っていた。その入院期間中、亡戸市は、息苦しさを訴えることはなく、チアノーゼも認められなかったが、痰を喀出しなかったため吸引が繰り返し行われ、また食物の経口摂取量もわずかで、ほとんど寝たきりであり、全身衰弱の状態にあった。そして、亡戸市は、同年七月一八日午前中は意識も明瞭であったが、同日午後三時二五分ころ、痰を詰まらせて突然無呼吸となり、人工呼吸を施しても自発呼吸が出現せず、血圧も降下して、同日午後四時一五分、窒息が直接の原因で死亡した。死亡当時満八〇歳であった。

4  亡戸市の長崎労災病院主治医木村幹史作成の死亡診断書(<証拠略>)の直接死因欄には動脈硬化、低蛋白血症と記載されているが、後記のとおり病理解剖もなされている。

四  亡戸市のじん肺症の程度

じん肺症の程度は、粉じん作業職歴、病理解剖所見、胸部エックス線写真像、肺機能検査、胸部臨床検査、既往症等を総合して判断するのが相当であり、以下各項目について判断する。

1  亡戸市の粉じん作業職歴

前記一の当事者間に争いのない事実のほか、(証拠略)によると、亡戸市の粉じん作業職歴は通算二五年六か月であった。

2  じん肺に関する病理解剖所見

(一)  (証拠略)によると、亡戸市が死亡した昭和五五年七月一八日、吉河康二医師によって亡戸市の病理解剖がなされたが、それによると、亡戸市の両肺野全域に炭粉沈着が高度で、小結節状の線維化巣と主として小葉中心性の肺気腫がびまんに存在し、気腫性変化は上葉に特に強く、大きな腔が形成されていた。また右肺上葉及び下葉に塊状線維化巣が存在したことが認められる。

(二)  これについて証人吉河康二医師は、肺野全域にびまんに存在した小結状の線維化巣は、炭粉の沈着と炭坑の粉じんに含まれている軽度のけい素などの微粒元素が引き起こしたもので、このような病変があると肺機能が低下すること、小葉中心性の肺気腫の原因としては、主に粉じん吸入による炭坑夫肺が考えられること、右肺上葉及び下葉の塊状線維化巣は高度に炭粉が沈着して線維が形成され、さらに肺結核の合併を伴って硬い線維化巣ができたものであること、病理学の成書を参考にすると、亡戸市の炭粉沈着或いは炭坑夫肺は、塊状線維化巣を除くと、中等度であり、塊状線維化巣を含めて考えると、その進行度は上がること、亡戸市の炭坑夫肺は形態学的にはかなり進行しており、臨床症状にもかなり悪い影響を与えていたと考えてよいが、解剖所見と実際に亡戸市が示していた呼吸困難の状態は一致しないことも多いので、どの程度の悪影響を及ぼしたかは臨床所見によらねばならない趣旨の意見を述べている。

3  胸部エックス線写真像

(一)  (証拠略)によると、亡戸市が長崎労災病院で最初に受診した昭和五三年一二月六日に撮影されたエックス線写真像(<証拠略>)に基づく、じん肺健康診断結果証明書(<証拠略>)では、粒状影の区分1/1(一二階尺度で、標準エックス線フィルムの第一型におおむね一致すると判定されるもの)・タイプp(主要陰影の直径が一・五ミリメートルまでのもの)、不整形陰影1/1と記載され、診断の結果は第一型とされていることが認められる。

(二)  この点について、証人持永俊一医師及び同木谷崇和医師は、亡戸市の昭和五三年一二月六日から死亡するまでの間に撮影された胸部エックス線写真五枚(<証拠略>)の各像につき、いずれも第一型で変化はない旨の所見を述べている。

(三)  以上によると、亡戸市の胸部エックス線写真像は第一型であり、昭和五三年一二月六日以降死亡するまでの間特に変化はなかったと認められるが、前記2の病理解剖所見に対比すると、びまん性肺気腫の影響で胸部エックス線写真像には、病理解剖所見で認められたところの小結節状や塊状の線維化巣の存在が十分写っていなかったといえる。

4  肺機能検査の結果

(一)  (証拠略)並びに証人持永俊一の証言によると、

(1) 肺機能検査は、一次検査と二次検査に分けて行われ、著しい肺機能障害があるか否かにつき判定されるが、亡戸市が満七九歳であった昭和五四年一月九日の肺機能検査の結果は、

ア パーセント肺活量 九五パーセント

イ 一秒率 四五・五パーセント

ウ V25/身長 〇・二五リットル/秒/メートル(身長一・五八二メートル)

エ 動脈血酸素分圧 七〇・〇TORR

オ 動脈血炭酸ガス分圧 三八・〇TORR

カ 肺胞気・動脈血酸素分圧較差 三四・二TORR

であって、肺機能検査による総合判定はF()(じん肺による著しい肺機能の障害がある)とされたことが認められ、

(2) また亡戸市は、長崎労災病院に二回目の入院をした昭和五五年五月一三日から死亡するまでの間(当時満八〇歳)数回にわたって血液ガス検査を受けているが、その結果について、証人持永俊一医師は、亡戸市の年齢程度の正常な動脈血酸素分圧値は六〇ないし七〇TORRであり、また動脈血炭酸ガス分圧の正常値は三五ないし四五であるから、亡戸市の動脈血炭酸ガス分圧の値は正常であるが、動脈血酸素分圧の値が落ちており、その原因としてはじん肺と年齢が考えられること、一秒率が下がり、V25/身長の値が低いのは肺気腫に現れる型であること、肺胞気・動脈血酸素分圧較差の値は、健康な成人と比較すると相当悪いが、じん肺患者としては悪くはない旨供述している。

(二)  また、証人木谷崇和医師は、右各検査の結果につき一秒率がかなり下がり、それに伴ってV25/身長も下がっており、また、動脈血酸素分圧も亡戸市の年齢に比較しても少し落ち、自覚症状も第Ⅳ度であることに照らし、全体的な肺機能はかなり落ちていると判断されるとし、呼吸器障害の原因は、じん肺によるものか否かを別として慢性肺気腫であると述べ、更に亡戸市の呼吸状態はそれほどひどくないので、慢性呼吸器疾患のため長期に低酸素状態に慣れていたものと考える旨の所見も付加している。

(三)  以上によると、パーセント肺活量や動脈血炭酸ガス分圧は正常であるが、一秒率、V25/身長、動脈血酸素分圧の各値が低いことに照らし、亡戸市の肺機能はかなり障害されていたものと認められる。

5  胸部臨床検査

前記三の認定事実のほか、(証拠略)並びに証人持永俊一及び同木谷崇和の各証言によると、次の事実が認められる。

(一)  自覚症状

喀や痰は、長崎労災病院での初診時である昭和五三年一二月六日以降も継続的に存在した。また呼吸困難の程度は、自覚症状で、患者の訴えに基づいて判定されるが、亡戸市の呼吸困難の程度は、ヒュー・ジョーンズの分類によると、昭和五三年一二月六日当時第Ⅳ度(五〇メートル以上歩くのにひと休みしなければ歩けない者を意味する。)であったが、亡戸市は同病院での二回の入院期間中息苦しさを訴えることはなかった。

(二)  他覚症状

一般的にチアノーゼは酸素が少し減っても出てくることはあるが、ばち状指の所見がないことは、呼吸困難や酸素不足の状態が長く続いていなかったことを示唆するものであるところ、亡戸市には、チアノーゼやばち状指、副雑音の所見が、昭和五三年一二月六日の検査時にみられず、その後二回目の入院中の一時期に唇等にチアノーゼが認められたことはあったが、それ以外には死亡直前までチアノーゼやばち状指の所見はなかった。

(三)  以上によると、自覚症状としては呼吸困難を訴えていたこともあったが、他覚症状としては、呼吸が困難になるほど呼吸器疾患がひどい状態にあったとはいえないというべきである。

6  既応症(合併症)

(一)  前記三の認定事実のほか、(証拠略)並びに証人持永俊一、同木谷崇和の各証言によると、亡戸市は、昭和四三年ころ、肺結核で二年半ほど入院治療を受けたことがあったところ、昭和五三年一二月六日のエックス線写真による検査の結果、肺結核(tb)が存在し、Ⅲ型(不安定非空洞型、空洞は認められないが、不安定な肺病変があるもの)である可能性があるので治療を要すると診断され、じん肺結核症として治療が施されたが、その後の経過で陰影に変化がなく、安定しているものと判断され、途中で結核の治療が中止されたことが認められ、

(二)  証人吉河康二医師は病理解剖の結果、右上肺に陳旧性肺結核が、また両肺には胸膜線維性癒着が存在し、その原因を特定することはできないが、一般的には結核性の胸膜炎が考えられ、その胸膜の癒着によって肺の動きが制限され、肺機能にも影響する旨の所見を述べている。

(三)  以上によると、亡戸市の右上肺には既に治癒していた肺結核(陳旧性肺結核)が存在し、また両肺には胸膜線維性癒着があって肺機能に影響を与えていたことが認められる。

7  肺気腫の存在及びじん肺との関連性

前記認定のとおり病理解剖の結果、亡戸市の肺野全域に小葉中心性の肺気腫がびまんに存在したことが明らかなところ、

(一)  前記四2の認定事実(炭坑夫肺に関する解剖所見)のほか、(証拠略)によると、肺気腫とは、肺胞中隔の破壊または終末呼吸単位である小葉の拡張による肺末梢気腔の過膨張と定義されているが、その中には、主として呼吸細気管支に生じその拡張のみをもたらす粉じん吸入による局所肺気腫(限局性肺気腫)のほか、中隔の破壊や拡張が終末細気管支から呼吸細気管支の領域で小葉の中心部のみに限局した小葉中心性肺気腫や、区域内または肺葉内で一様に小葉に病変を起こし、肺のいずれの部分にもいくぶん不規則に起こる汎小葉性肺気腫などがあり、炭坑夫肺では、粉じん巣周辺に局所肺気腫が高頻度に発生するといわれている。また小葉中心性肺気腫は、びまん性の疾患と考えられており、ヘビースモーキング歴や慢性気管支炎の病歴のある者に見られ、その軽いものは非喫煙者にも特に三〇歳代以後に見られるといわれ、汎小葉性肺気腫は、軽いものであれば四〇歳以後に普通に見られるといわれている。

(二)  亡戸市の肺気腫について、証人持永俊一医師は、じん肺の関与は否定できないが、同人のエックス線写真のじん肺の陰影が一二階尺度で1/1型で、かつ年齢が七九歳であることに照らし、加齢が肺気腫を増因させたこと、エックス線写真上その経過にほとんど変化はないと判断されるとし、また証人木谷崇和医師も、じん肺による肺気腫にはじん肺性の著明な陰影があるが、亡戸市のエックス線写真上このような陰影がそれほど目立たないので、高齢者に起こってくる慢性肺気腫とみたほうが妥当である旨の意見を述べている。

(三)  これに対し、証人吉河康二医師は、教科書的には老人性の肺気腫は汎小葉中心性の肺気腫であり、また炭坑夫肺に見られるのは小葉中心性の肺気腫であるので、亡戸市の肺気腫の原因は、主に粉じん吸入による炭坑夫肺とするのが自然あるが、実際に病理形態学的にどこまで区別できるか非常に疑問があると述べている。

(四)  また証人海老原医師は、局所肺気腫はじん肺に特有なものであり、小葉中心性や汎小葉性の肺気腫はじん肺に特有なものではないが、粉じん吸入によって起こることもあること、また年齢そのものは肺気腫の原因とはならず、老人性肺気腫という言葉は医学的には過去のものとなって消えているが、しかし、何らかの原因があると、高齢の人が肺気腫になりやすい旨述べている。

(五)  以上によると、亡戸市の肺野全体にびまんに存在した小葉中心性の肺気腫の原因については医師によっても見解が分かれていて必ずしも帰一しないが、じん肺による影響は否定できないものの、亡戸市が高齢者であったことが大きく影響していたというべきである。そして、この肺気腫の存在が亡戸市の肺機能障害の主たる原因と考えるのが相当である。

8  以上を総合すると、亡戸市の肺機能はかなり障害されており、粉じん作業職歴や病理解剖所見等に照らすと、じん肺の関与を否定することはできないものの、亡戸市の年齢を考慮すると、原告が主張するほどにじん肺自体が亡戸市の肺機能障害に与えた影響は大きいものであったとまではいえず、従って、亡戸市のじん肺症が重症であったと認めることはできない。

そこで、前記三のとおり亡戸市には、じん肺症のほか、動脈硬化症や低蛋白血症の疾病も存在したので、以下項を改めて検討することにする。

五  動脈硬化症・低蛋白血症について

1  (証拠略)(病理解剖記録)及び証人吉河康二医師の証言によると、

(一)  病理解剖の結果、亡戸市には、冠状動脈硬化症・陳旧性心筋梗塞・大動脈硬化症・動脈硬化性萎縮腎等の全身動脈硬化症、胸水や腹水の腔水症が存在したこと、

(二)  亡戸市の右全身動脈硬化症の原因は加齢であり、その動脈硬化症の程度については、年齢を考えても硬化が強く、頭部にも胸腹部と同程度の動脈硬化があったと推測でき、その程度であれば、脳動脈硬化性の精神症状が出る可能性があること、また腔水症の原因は低蛋白血症であり、腔水が存在するうえ脂肪組織も減少しているので亡戸市は栄養不良の状態にあったことが認められる。

2  以上の事実に前記三で認定した事実を併せ考えると、亡戸市は、脳動脈硬化性の精神症状を示す程度の全身動脈硬化症が存在し、それに伴って摂食意欲を欠いて食事が進まず、死亡直前には低蛋白血症等の栄養不良となって全身衰弱の状態にあったということができる。

3  動脈硬化症・低蛋白血症とじん肺との関連性

前記のとおり、亡戸市には長期にわたって栄養状態の不良、低蛋白血症、意識状況の不良等があったところ、原告はこれはじん肺に基づく恒常的な酸欠による全身の体力の衰えが重大な影響を与えていたと主張する。しかし、

(一)  亡戸市の動脈硬化症について証人持永俊一医師は、じん肺との因果関係ははっきりしないとし、証人吉河康二医師も、炭坑夫肺の原因による慢性的な酸素不足の状態の動脈硬化症に対する影響は不明であると供述している。そして、証人持永俊一、同木谷崇和及び同吉河康二の各医師とも、亡戸市の動脈硬化症の原因として加齢を挙げている。

(二)  また、亡戸市の栄養不良については、証人持永俊一医師は、亡戸市は、摂食意欲がなかったのみで、食事がとれる状態にはあったので、慢性的呼吸器疾患とは関係がないとし、また証人木谷崇和医師は、じん肺がひどく呼吸不全状態にあるときは食事がとれず栄養が下がることはあるが、亡戸市の場合呼吸困難の程度は食事がとれないほどひどいものではなかったので、じん肺と低蛋白血症との関係はないとし、証人吉河康二医師も、もし臨床的に高度の呼吸困難があればそのファクターも考慮に入れるべきであるが、亡戸市の全身衰弱は摂食をしなかったことによる栄養不良が重要なファクターになっている旨の見解を述べている。

(三)  以上によると、動脈硬化症・低蛋白血症とじん肺との関連性は明らかでなく、その他にじん肺と動脈硬化症・低蛋白血症との因果関係を認めるに足りる証拠はないので、原告の右主張は採用しない。

六  死因

亡戸市の死因について、原告は、亡戸市のじん肺症が長期にわたって高度に進行したため全身の体力が衰え、喀痰の排出が困難となって窒息死したと主張し、被告は、加齢に基づく動脈硬化症によって脳動脈硬化性の精神症状を来し、食物摂取意欲が低下して低蛋白血症となった結果全身衰弱に陥り、いわゆる老衰の状態から死亡するに至ったものであると主張する。そして、前記三のとおり亡戸市は直接的には痰を詰まらせての窒息が原因で死亡したのであるが、

1  亡戸市を病理解剖した証人吉河康二医師は、長崎労働者災害補償保険審査官に対する意見書(<証拠略>)では、その死因につき、「解剖所見から直接死因を断定する事は困難であった。」と記載し、また病理解剖記録(<証拠略>)の死因欄に、「形態学的には高度の肺病変と栄養不良ないしは全身衰弱の所見がある。また肺の一部に組織学的に誤嚥による所見があった。」と記載していることについて、病理解剖記録の死因欄に記載した三つの所見は死因を解明するうえで無視できない所見であるが、高度の肺病変だけでは死亡することはないこと、臨床医が死因を動脈硬化症・低蛋白血症とすることには病理解剖の結果とあまり大きな矛盾はない旨の意見を述べている。

2  長崎労災病院での亡戸市の主治医であった木村幹史が、死亡診断書(<証拠略>)の直接死因欄に「動脈硬化、低蛋白血症」と記載していることは前述のとおりであるが、同病院の内科部長で、右死亡診断書の作成にかかわった証人持永俊一医師は、右直接死因の意味するところは加齢であり、加齢が原因で脳動脈硬化性の精神症状が現れ、それによって食欲不振に陥って低蛋白血症等の栄養不良となり全身が衰弱して死亡したものであると述べている。

また長崎労働者災害補償保険審査官から亡戸市の死因等について意見を求められた医師木谷崇和は、その意見書(<証拠略>)で、亡戸市の死因につき、「直接死因は痰をつまらせての窒息死の様であるが、本例は第二回目入院時、病歴も本人からは取れない状態であり、以後入院中も外界への反応性はかなり落ちているようである。この状態は八一歳という年齢とも合わせていわゆる老衰の状態(動脈硬化に基づく摂食意欲の低下などによる低蛋白血症状態の可能性あり、これがまた老衰を進行させる。)この状態では、喀痰排出の反射も低下していてもおかしくなく、この意味で老人性衰弱が死因として矛盾はしないと思われる。」旨記載し、またじん肺症と死亡の直接原因との因果関係及びじん肺症が死亡に与えた影響の程度については、「じん肺症による喀痰及び死亡直前の肺機能予備力の低下などが影響を及ぼした可能性はあるかも知れないが、総合的にみてじん肺症と死亡との間の因果関係はあるとはいい難く、死亡までに至った主因は老衰であると思われる。」旨の記載をし、証人として、亡戸市の死因につき、老人性衰弱である旨証言している。

3  以上によれば、亡戸市は、高齢に伴う脳動脈硬化性の精神症状が発現し、それに基づき摂食意欲が低下して低蛋白血症等の栄養不良となり、身体的に衰弱して喀痰も排出困難となって死亡したと考えるのが相当である。もっとも、亡戸市にはじん肺による肺病変が認められたことは前述のとおりで、これが亡戸市の死亡に影響を与えた可能性を否定できないとしても、その影響も右判断を妨げる程度のものであったとはいい難い。

七  従って、亡戸市の死因は、じん肺ないしその法定合併症・続発症ではなく、老人性衰弱ないし老衰であり、これとじん肺ないしその法定合併症・続発症との間に相当因果関係を認めることはできない(原告は、じん肺と死亡との間に合理的関連性があれば足りる旨主張するが、この見解は採用しない。)

そうすると、亡戸市の死因は労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第五号、第九号のいずれにも該当しないから、亡戸市の死亡は業務に起因するものではないとして原告の労災保険給付の申請を却下した被告の本件処分は適法であり、その他これを取り消さなければならない違法は認められない。

八  よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松島茂敏 裁判官 大段亨 裁判官 田口直樹)

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